丸山健二氏は斯く語りき17APR11
常に支配者たちの私利私欲が背後にうごめく、理念とはほど遠い、あまりにも程度の低い国家を形成してしまったのは、いやしくも民主主義の形を選択している限りにおいて、その責任の大半は、卑劣で愚劣な事大主義に染まったまま、他力本願で生きようとする、自らおのれを抹殺した国民自身の側にある。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
その結果がどうなるのか目に見えていたにもかかわらず、今度こそはというお人好しな期待をしながら投票することによって、毎度お馴染みの、陰で何をやらかしているのかわかったものではない、こんなとんでもない連中を信じて国会ヘ送り出した国民は、政治や国家を語る資格などかけらもありはしない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
じっくりと腰を落ち着け、長い歳月を積み重ねてひとつのことに没頭し、集中し、継続するということを生理的に忌み嫌う日本人は、すぐにいい恰好ができないとたちまち離脱し、安っぽい成功の夢を小脇に抱えて別の世界ヘと移るのだが、しかし、そこでも同じ真似をくり返すために、結果はいつも同じだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
日本人はあまりに短気で、短気の裏には小心がぴったりと張りついていて、すぐに成果を期待したがり、その性急さが仇をなして、せっかく積み上げた基盤が、ある程度の高さに達したところで、だしぬけに不安定になり、当然の帰結としての崩壊を差し招き、性懲りもなく、またしても瓦礫の下敷きになる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
戦争などしてみたところで誰の得にもならないとするのは早計で、実際には得する者がいて、それはあれほど大量の弾薬を消費することによって大儲けする関係業者で、かれらはどんなに値段を吹っかけたところで文句の出ない製品を大量に売りまくることで、他の企業など問題にならぬ高収益をあげている。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
国家が軍隊に期待し、軍隊が兵士に期待するのは、ひとえに殺人行為にまったく躊躇しない決断力であり、命令とあれば相手が婦女子であっても殺害する非情さであり、さらには、必要とあらばおのれの命を惜しげもなく投げ出す無諜さであって、けっしてそれ以上ではなく、非人間性のみということになる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
敵の兵土をひとり殺すのに必要な銃弾はおよそ五万発で、ところが、狙撃兵がもたらすその確率は、ひとりにつきおよそ一発と半分だそうで、この数字そのものが、戦争の底知れぬ空疎と残虐性とを象徴しており、この狂気から抜け出さない限りは、人間らしい人間としての真っ当な未来などあり得ないのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
他国ヘ自国の兵土を投入することをいとも簡単に決定する国家の支配者たちが、あたかも営業部員を海外出張に送り出す会社の上役のごとき程度の緊張感を保ち、澄まし顔でいられるのも、自分のところヘ飛んでくる銃弾が一発もなく、しかも、一滴の血を浴びることもなく、ひとつの戦死者も見ないからだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
どんなに高度な武器を使用する近代戦とはいえ、最後にものを言うのは白兵戦であり、そうなると両軍の兵土は互いの顔を見ながら殺し合いを演じなければならず、しかし、多くの真っ当な人間たちは、いかなる理由があるにせよ、同じ人類の生命を奪うことに遺伝子的な拒絶を示し、後悔と絶望に駆られる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日
安全な位置にとどまってその戦争を指揮した将軍たちは、直接自分で手を下すことがなかったために、あるいは、戦争の勝敗をおのれの栄達の道具として扱うことができなかったせいで、殺人の後遺症に悩まされることなどいっさいなく、自分が戦ったわけでもないのに、英雄として扱われ、自身もその気だ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年4月11日