丸山健二氏は斯く語りき
あれほど幼稚で、結果が見え見えの経済政策が功を奏すると判断し、本気で実践した政府も愚かなら、それを積極的に支持したり、煽ったりした、御用学者や御用評論家や御用知識人や御用新聞などのその性根の卑しさをはるかに通り越した馬鹿さ加滅も底知れず、さらなる転落を前にしてまだ弁解に努める。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月31日
人間らしく生きることとは、弱い存在ではあっても、その気になれば強く生きられるという可能性に賭けてみることであり、自分を甘やかすだけ甘やかして、駄目な人間になったことの言い訳として「まあ、人問なんだから、こんなもんじゃないかな」とうそぶくとき、その背後に佇んでいるのは死に神のみ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月31日
恋愛至上主義などという綺麗事を弁解の綱にして、明けても暮れてもそのことしか念頭にない者たちに、それでは動物といい勝負であって、人間らしさとはおよそかけ離れた生き方なのではないかと咬みついてみたところで、アルコールや薬物やギャンブルと同様、依存症なのだから言うだけ無駄というもの。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月31日
親の都合で、男女間の期待外れで、簡単に離婚という答えを出すのは、もちろん当人の勝手ではあるのだが、しかし、そのふたりのあいだに生れた子どもに及ぼされる精神的な影響は計り知れず、まだ柔らかくて純粋な脳に負ってしまった傷は親の想像以上に深く、いずれ、とんでもない結果を差し招くのだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月31日
このまま子どもを作らない風潮が募れば、国家はやがて衰退し、その先には消滅が待っているなどという、なるべく大勢の国民の上に君臨したがる国家の手前勝手な言い分にいちいち心を動かされて、その気になる夫婦などいるわけがなく、実際には、子を育てるような時代ではないと直観されているからだ。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月31日
国民に向かって国を愛すことを必要以上に勧める、およそ筋違いな言い分が、あたかも正義のなかの正義、義務のなかの義務のごとき衣を纏ってくると、そろそろその国家は破滅や破局ヘ向かっての坂道を下り始めた証拠であり、もしち国民がその歪んだスローガンを歓呼して迎えるようになれば未来はない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月28日
無体にも国民から主体性を奪い取る悪が理想の地位に就き、民主的な基盤のあれこれを等しく根絶やしにするという不気味な危険が蔓延り、すでにして手に負えない段階にまで達しているというのに、おのれを愚化している意識もない多くの人々は、見せかけの好景気の兆しに幻惑され、希望をつないでいる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月21日
ありとあらゆる負の条件から受ける重圧は、いたずらに焦燥をかき立て、もがけばもがくほどおのれの愚かさを証明することになり、自身の精神界を覗き見たとき、そこが完全に空洞化されていることを知って愕然となり、ほとんど心の餓死を意昧する伏態にあることに気がつくのだが、もはやなす術はない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月21日
精神的無力どころか経済的無力に突き落とされ、それでもなおもの言う術を知らぬ者たちは、お上の統制下にあってささやかな幸福を不断に求めてやまない自分から離れて、一個の独立した存在をめざすための第二の生を付与しようとはせず、相変わらず強者にその身を売り渡し、権力に秋波を送りつづける。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月21日
無限労働を課せられたかのごとき人生を前にしておのれの心に真正面から向き合うことなどできるはずもなく、結局は演繹不可能な野蛮さヘの転落という羽目に陥ってしまい、しかし、強行手段に訴える相手を見つけ出すことができないまま、牢固たる決刷がつかぬまま、刹那の衝動に身を委ねることになる。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月21日
無庇の魂のままでこの世を立ち去ることができる者などもとより存在するわけもなく、真剣に生きても、真面目一徹に生きても、いや、そうすればするほどいつしか知らず深手を負うことになり、その分、当然ながら精神の衰耗は激しく、周囲からは幸運に満ちた人生を送ったように見えても、そうではない。
— 丸山健二 (@maruyamakenji) 2017年3月28日