東アジアでの狂気の清算はまだ

崩壊するアメリカ中東政策

 ロシア、トルコ両国の杯でアメリカの中東政策が崩壊し始めたんですがこのことに長年追跡してきた櫻井ジャーナルの記事を紹介させて頂きます。

ご本人はカンパを求めてらっしゃいます。よろしくお頼み致します。

http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608110000/

 

 アメリカの好戦派が進めてきた世界制覇の目論見は中東/北アフリカやウクライナで崩れ始めている。その基本プランが国防総省のDPG草案として作成されたのは1992年。このことは本ブログで何度も書いてきた。

 DPGが作成された当時、国防総省のトップはリチャード・チェイニー長官で、ポール・ウォルフォウィッツ国防次官を中心に書き上げられた。国防総省内部のシンクタンクONAの室長だったアンドリュー・マーシャルの戦略に基づいて書き上げられたと言われている。チェイニー、ウォルフォウィッツ、マーシャルなどDPGの作成に関わった人の多くはネオコン/シオニストと言われている人びとだ。

 ネオコンがホワイトハウスで主導権を握ったのはジェラルド・フォード政権、つまり1974年から77年にかけての時期。フォードはウォーターゲート事件でリチャード・ニクソン大統領が辞任したことを受けて副大統領から昇格したのだが、選挙の時には副大統領でもなかった。副大統領候補はスピロ・アグニューだったのだが、汚職事件の捜査対象となって1973年10月に辞任、下院議員だったフォードに交代したのだ。

 辞任当時、ニクソン政権はデタント(緊張緩和)へ舵を切ろうとしていたのだが、そうした政策変更に強く反発する人びとも存在した。ポール・ニッツェやアルバート・ウールステッターを中心とするグループだ。

 1975年11月にフォード政権はデタント派の粛清を始める。例えば、この時にジェームズ・シュレシンジャーが国防長官を解任され、大統領首席補佐官だったドナルド・ラムズフェルドが就任している。空いたポストには副補佐官だったリチャード・チェイニーが収まった。粛清劇を指揮したのはこのふたりだと言われているが、ラムズフェルドを動かしていたのはマーシャルONA室長や陸軍参謀本部の顧問を務めたこともあるフリッツ・クレーマーだ。

中略

 ニッツェ、ウールステッター、マーシャル、クレーマー親子、ラムズフェルド、チェイニー、ウォルフォウィッツ、ヘイグ、ジャクソン、パール、パイプス、フェイス、エイブラムズ、シュルスキーなどは親イスラエル派で、後にネオコンと呼ばれるようになる。タワーもイスラエルと緊密な関係にあった。

 ロナルド・レーガン政権でこうしたネオコンはイラクのサダム・フセインを排除すべきだと主張、フセインをペルシャ湾岸産油国の防波堤だと認識していたブッシュたちと対立している。ネオコンの暴走を可能にしたのは2001年9月11日の出来事だ。その辺の事情については別の機会に説明したい。

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